湊酒田の飾り菓子 日本でひとつだけの菓子両面木型製

酒田は、最上川が日本海と出会う湊町。
西廻り航路、北前船で上方や江戸、
北海道を往復する中継地として栄えました。
豊富な物資の集積地であったことから上方文化の影響を
色濃く受け、今でもその名残が感じられます。

見本帳と木型

職人の手仕事が絶やさぬ情熱

天保三(一八三二)年に創業した酒田御菓子司小松屋は、
正岡子規をはじめとする著名人や市民に親しまれた名店でした。
令和元(二〇一九)年、その歴史に幕を閉じ、
小松屋又三郎の屋号を引き継いで、飾り菓子職に専念し、
技術の継承と保存に尽力します。
そして、再現された観賞用の工芸菓子が誕生。
先代から受け継いだ巧みな技術、
昔ながらの日本の風情から生まれた
美しい色彩は、時空を超えて次の世代へと伝えてまいります。
時代とともに技術が進化する中で変わらぬ手仕事を支える、
それは小松屋又三郎の信念です。

職人

雛の飾り菓子が文化をつなぐ

自然の風景や風情などを写実的、芸術性豊かに表現した
飾り菓子と呼ばれる工芸菓子は、江戸時代に京都でつくられ、
神社仏閣や大名への献上、大奥で鑑賞された献上菓子が
はじまりといわれます。
その当時は干菓子として鑑賞、賞味されていたとのこと。
明治時代に入り、東京で開催された「国内勧業博覧会」、
その後「パリ万博博覧会」への出品によって、世界的な
評価を得るようになりました。
先代から受け継いだ片栗細工の工芸菓子は、桃の節句に
雛段を彩るお雛菓子でもあります。

雛の飾り菓子

上質なものを作り続けること

鶴亀などの縁起物が、まるで筆で描いたかのように刻まれた
木型で作られる繊細な飾り菓子。
その昔、北前船に乗って京都から招かれたのであろう
彫り職人の証が木型に焼き印で残っています。
立体的な飾り菓子にするための知恵と技術に魅了されます。

木型

湊町酒田と家坂亭

船場町に佇む家坂家は、江戸時代後期から明治時代中期にかけて、
北前船舟運で主に米と桐油を扱った商家でした。
初代の家坂徳兵衛は、文化4(1807)年に新潟県見附市で生まれ、
酒田湊で上方に送る米の精米を生業とし、戻り船で京都より
雛人形などの美術品を購入したといわれます。
明治27(1894)年に襲われた荘内地震の後、
二代目徳兵衛(平治)が建てた屋敷は
当時の面影を残したまま現存します。
昭和30(1955)年頃から割烹を営むようになった家坂家は、
しばらくの間結婚式場としても利用されました。
その建築物に息吹を注いで新たなスタートを切った「家坂亭」。
気軽に立ち寄れるサロンとして、皆様と交流しながら
楽しい時間をともに過ごすことができたなら幸いです。

山形県酒田市船場町一丁目7‐46

家坂亭